HOT STUFF 2




 ……買い物をしている望美を待っている間、近くの海岸をぶらぶらしていた彼に近づいてきたひとりの男。服装はラフだが真面目そうな雰囲気のその男から写真を撮る許可を求められ、知盛は別にかまわないと答えた。
 続いてどこからか現れた、カメラその他さまざまな機材を抱えた数人は、短時間のうちに手際よく目的を果たし終えたらしい。知盛はただ、適当に立っていただけなのだが。
 そして彼の目の前に差し出されたのが、肖像権何ちゃらと書かれた紙だ。面倒くさいと思いながらも求められるまま名前と連絡先(有川家の電話番号だ)を書くと、よろしければ連絡をくださいと引き換えのように名刺を渡された。放り捨てこそしなかったものの、無造作にポケットにしまいこんで、それきり忘れていた知盛だった。
 だが、そのあと何日か経って。
 クリーニングに出すからと望美に言われてジャケットのポケットをさぐっていた彼は、そこに入ったままの名刺に気がついた。手に取り記憶を探り、知盛はそれが何かを思い出した。
 考えるまでもなく彼がその紙片をごみ箱に捨てようとした時、まさにその名刺の人物から電話がかかってきたというのは偶然というには恐ろしいタイミングだったが、電話の向こうの相手の口ぶりから察するに、先日の写真の出来がよほどよかったらしい。引き合わせたい人間もいるので、よろしければこれからでもぜひと言われ、「ああ……」と答えたのは、暇なら皿に盛るほどあるとはいえ、わずらわしいのが嫌いな知盛にしてはかなりめずらしい部類の行動に入るだろう。むろん平日なので望美は学校、このことを知るよしもない。
 知盛が東京に行ったのは初めてだった。鎌倉近辺ならひとりで出歩くし、横浜あたりまでなら望美たちと出かけたことはあるが、元々遠出には興味のない彼である。東京が京に代わる現代の首都であろうと関心はなく、出かける必要性を感じたこともない。それに近代的な建物が立ち並び、雑多な人と物、匂いや音がひしめく東京は、彼にとって異国の地に等しい。
 だが周囲から押し寄せる強烈なカルチャーショックを彼らしい無関心さでほどよく遮断し、生来の勘のよさでJRや私鉄の乗り換えのややこしさをクリアし、彼はとりあえず目的の駅に降り立つことができた。駅の界隈こそ雑然としているが、種々の勧誘や配られるティッシュやチラシをちらりと見やることもなくしばらく歩くと、街並みは意外なほど堅い感じのビルの連続に切り替わる。ミラー仕様の大きなビルのほとんどを占めているらしい編集社の受付で彼は名前を告げた。
「おかけになって少々お待ちくださいませ」
 知盛の容貌に一瞬目を見開いた受付嬢が、最高の笑みと共にロビーの椅子を指し示す。しかしそれに腰を下ろすでもなく、あたりに置かれた観葉植物をぼーっと眺めている背の高いハンサムな青年を、そばを行く人々がちらちらと見るが、知盛がそれらに関心を払うことはない。好意的なものもそうでないものも含めて、視線を向けられるのには慣れきっている男なのである。
 ほどなくひとりの男がエレベーターから降り、彼の方にせわしなく近づいてきた。海岸で最初知盛に声をかけた男だったが、いかにもベテランらしい知的な感じの女性を伴っている。男は知盛に足労の礼を述べると、道路を挟んでビルの向かい側にある落ち着いたカフェにいざなった。
 席につくと、女性は自己紹介をして名刺を差し出した。そこにはファッションに興味のある者なら誰でも知っている某モデルエージェンシーの名前が書いてあったが、そちらの知識は皆無の知盛は一瞥しただけで終わりだ。そんな彼を興味深げに見やる女性の手元には、先日の写真をレイアウトし、キャプションをつけた雑誌の下刷りページ。彼女は目の前の青年と下刷りを見比べながらうなずいた。
「なるほど。カメラマンは力不足……だった、ようね」
 感心したように言いながら身を乗り出し、彼女は単刀直入に切り出した。
「平さん、モデル、やってみようと思ったことは?」
「……『もでる』とは何だ?」
 思ってもみなかった回答にふたりは絶句する。何かの冗談だと思ったらしい。それでもとりあえず、テレビもない孤島から来た人間に教えるようにていねいに説明し始めた。
「ええ、まあ、雑誌に載っている人たち……これはいわばみんな『モデル』です」
 彼女が言うには、モデルにはスチールモデルとショーモデルがある。スチールモデルはカタログや雑誌のために、その商品を魅力的に演出することが重要だし、ショーモデルは国内をはじめ、世界各地で開催されるファッションショーでステージの上を歩き、デザイナーの作品をバイヤーたちにアピールすることが役目。もし知盛にその気があるのなら、前者にトライさせてみたいこと……。
 コーヒーはうまかったものの話は途中から聞き流していた上、適当に席を立ってもよかったのが、知盛は彼女が彼に向けてくる、品定めするような目におもしろみを覚えていた。艶めいたものは何もなく、ただ彼の資質を推し量ろうとする視線。女が彼をそういう目で見ることはほとんどない。それに彼女の口ぶりははきはきとして小気味よかった。
 で、彼はビルの中の簡便なスタジオにカメラテストのため立つこととなったわけだが、その結果も彼女たちには大変満足いくものだったらしい。彼女は知盛に自分のエージェンシーに正式に登録し、仕事を始めることを勧めた。
「……面倒、だな」
「面倒、ですか」
 少し呆れたように彼女は言った。すべてがいつもと違っていた。彼女の周りにはモデルになりたくてたまらない若くて美しい男女が大勢いる。売り込みも激しい。その彼らにくらべ、この熱のなさはどうだろう。通常はとうぜん「やる気がないなら、さようなら」で終わりなのだが、話を聞いているのか聞いていないのかわからない物憂い表情と寡黙さには逆に興味を引かれた。
 それに頭身、骨格、四肢の長さ、容貌、すべて申し分ない。鍛えられた筋肉も飾り物ではなさそうだ。そして何より、彼の持つ退廃的で謎めいた印象……その瞳に映るものはいったい何なのだろうと彼女に思わせるだけでも大したものだ。
 少し先に控えている大きな仕事に合う人材を求めて、ずいぶんな数のモデルやモデル予備軍にも会っていたが、目の前の男のような人間はひとりもいなかった。彼ならいけると仕事の勘がささやいている。もっともこの男をやる気にさせることができれば、だが。
「モデルに憧れる人間は多いけれど、仕事の厳しさにあきらめるケースが多いのも事実。しかもあなたはとりたててモデルになりたいという意欲を持っているわけでもない。でも……」
 彼女はふといたずらっ子のような目になった。
「あなたはずいぶんと退屈しているみたい。この仕事はそんなあなたに少しは刺激を与えることができるかもしれない」
「刺激、ね……」
「つまらなかったらその時はやめればよいだけ。そもそも業界の方があなたを受け入れるかどうかはわからないのだし」
 誘っているのか突き放しているのかわからない彼女の言に知盛はしばし沈黙した。が、やがて低い声が言った。
「……よかろう。俺に何をさせたい?」
 そしてさまざまな契約書類を持ち帰るはめになった知盛は、帰ってきてとりあえず―――将臣にこの件を話した。
 降って湧いたような話に口をあんぐりあけたものの、知っている限りの知識で将臣が言ったのは、「まがいものの業者もいくつもあるから気をつけろ」とか、「一見華やかそうだけどすげーハードな世界だ、おまえにホントにつとまるのか」とか。だが「身体ひとつで足りる仕事なら悪くないかもな」とも。
 知盛はそれらを「そうか」の一言で流し、将臣はせっかく説明してやってるのにとぼやきつつも、父親の友人のつてをたどって当該のエージェンシーが悪い噂などないきちんとした会社であることを確認し、名刺の人物が確かにその会社の所属であることまで調べてやった。何とも面倒見のいいことである。
 そして知盛は契約を交わし、いわゆる「仕事」を始めたわけだが―――。







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